やめる苦しみ?

子供たちの卒園や卒業の場に立ち会うと、こみ上げてくるものがある。子供に対しての想いもあるし、子供に対峙してきた自分たちに対して想うことがあります。「卒業だけがすべてじゃない」と、ドロップアウトした子供たちへの救いの道が用意されていたとしても、子供たちに用意されている卒園や卒業の「節目」は、とても大切な意味があると思いたい、そんな古風な考え方が僕にはあります。それはやっぱり大人になってもあるわけで、締切とか退職とか、やってきたことへの一区切りとしての小さな達成感みたいのは、あった方がいいと思う一方で、締切を伸ばすこと、「いったん終わり」にできないようなことを保留案件にしてしまうことで、続ける達成感みたいのを感じることができます。その先に続けたからこそ導かれる答えみたいなものが見つかることもあります。だから、僕は音楽を辞めましたとは言っていないし、とりあえずの締切を守るようにする気持ちを持つようにしていますが、保留案件をいくつも持っています。。そういう意味で、何かを始める理由なんていらないように、やめる理由みたいなものを繕うとせずに、「あれ、やめてたんだ?」くらいの感覚でいいんじゃないかと思うんです。タバコみたいな感覚で、会社に人が出入りするとか、仕事が納品・発注されたりとか。
「しれっとプレイ」。大人の卒業式があるとしたら、そういう「しれっと感」がある大人に、僕は憧れるなぁ。
今日も来てくれてありがとうございます。「卒業おめでとう、がんばってね」と、しれっと言えるようにもなりたいな。「おれ、そんなこと言ったっけ?」くらいの。卒業おめでとうございます。

16/03/20