不自然

え、ギター持っていくの?

子供たちがまだ小さかったころまでは
僕はお出かけの際に
車にギターを積んでいました。

それはもう、外で子供と遊ぶ
という本筋からすると、
不自然極まりないわけです、
ギターが。

無神経さというか、
もっと純粋な夢中さが
僕にあったなら、
もしかしたらその光景は
自然だったのかもしれません。

この時の感覚がよみがえるような
SNSで拡散された投稿を
数年後にみました。

坂口恭平さんが
熊本地震のときに
ギターをもって避難所へ
いったときのことでした。

自分だったらどうだったのか。
もちろん家族を連れて
大切なものをもって逃げるときに
自分にはギターを持っていけるだけの
勇気があっただろうかと。

今、子供たちが大きくなり、
子供たちは自立していき、
子供らにも大切なものがあります。

けれど、その大切なものを我慢して
勉強をして、大切な受験に
挑もうとしています。

この状態で家で
ギターが登場することは
受験生のいる家庭を考えれば
とっても不自然です。

最近、僕はここ数年で
これまで以上に
音楽に夢中になってきています。

とはいえ、お仕事もしていますし、
大切なものは音楽だけではありません。

20代のころのように
音楽中心だった生活とは違います。

だから、不自然に思われること、
自分自身でも不自然に思うことが
あるけれど、
それでも、大切なものと向き合うことは、
きっと自分にも、まわりにも、
少しくらいはいい影響を
与えることができるんじゃないか。

不自然を楽しむ、
不自然な状態を自然にすることも
できるんじゃないかと、
久しぶりに顔がひきつったりしながら
音楽と向き合っています。

そして、少しずつその輪が
広がろうとしているのも感じています。

もう数年もしたら子供たちは完全に
独り立ちするのですから、
僕はそれまでに、
子供たちにも僕の不自然を
一緒に楽しんでもらえるようになりたいな。

今日も来てくれてありがとうございます。なんだか最近は50歳くらいに向けての今、そして一年後、みたいなことを考えるのが楽しいです。スペイン語も上手になってるといいなー。

25/08/26