きっかけ

先日久しぶりの友人たちと飲んだ際に
老いの話になりました。

音楽のヒットチャートで
新しい音楽を受け入れられなくなることに
老いを感じるという説。

肉体的というよりも
精神的な狭量の文脈で
「老いると新しいものを
受け入れられなくなる」
と友人が言っていたので
ちょっと待った!とツッコミました。

僕の中では、老いると
肉体的にあきらめることが多くなることで
どんどん寛容的になる、
思っていたからです。

しかもそれを老いの文脈で使うということは、
まるで若いころの方が寛容であるかのように
聞こえたからです。

どちらかというと
若いころも、中年になっても、
自分に最適化される情報化社会のおかげで
固執した頑固人間ばかり、
不寛容な社会だなと感じることが多いです。

子供と老人の方が柔軟で
寛容的な印象がします。

僕がおかしいのかなと思って
インターネットで調べたら、
老いると不寛容になる説派が多くて
びっくりしました。

老いというよりも、
偶然性がなくなる環境が
不寛容になる原因なのかもと思います。

子供たちのおかげで
新しいミュージシャンを
好きなることができたし、
韓国好きの友人のおかげで
KPOPやドラマにハマることができたし、
数は少ないながらも
いろんなタイプの友達や、
人間関係から影響をうける、
「きっかけ」が作りにくい社会になっている
ことが問題だと思います。

図書館でジャケ借り、とか
散歩する、とか
移動手段を変えてみるとか
視点を変える「習慣化」で
環境づくりの改善はできると思います。

最適化されたAIによるレコメンドなんかに
偶然性を感じないという人もいますが、
広告のお仕事をしていると、
毎日AIと会話していると、
そうでもないんじゃない?とも思います。

それも「きっかけ」づくりの
習慣のおかげかもしれません。

何度も言いますが、
日記を書くことは
よい習慣化だと実感しています。

改めて、ぜひ!
中年おじさんも老人たちも
なんなら若い子たちも
日記を書こう。

今日も来てくれてありがとうございます。高齢者を老害だなんて言っちゃダメよダメダメ。中年おじさんに対しても。。

25/05/07