悪者

誰かにとって喜ばれることはあっても、
多くの人にとって悪者である。

昔、多くの人に悪者扱いされていても、
今になっては多くの人に喜ばれることもある。

たとえば、お仕事で、
新しいサービスを始める時、
社内の同意を得ることが難しい案件でも、
なんとか立ち上げて、
のちに会社に貢献して
みんなに喜ばれることがあります。

僕は実はこれまでの仕事で
何度かその経験をしました。

立ち上げ時は共感を得られることはなく、
煙たがられたり、大変なだけだから
やめた方がいいとも言われました。

立ち上げた後も、整えるのが苦手だったので、
整えてくれる人たちから、
「立ち上げるだけなら誰でもできる。
整えることを任せてばかりなら、
もう二度とやるなんて言わないでほしい」
と言われたこともありました。

お仕事の場合、会社にとって、
お客様にとってなど、
会社ごとに目標を決める必要があるので、
悪者を誰にするのかは比較的
わかりやすいとは思いますが、
そうはいっても、
それぞれの立場やタイミングによって
悪者は存在します。

もう少し小さい世界、
家族という枠の中で悪者を考えてみます。

「こうなってほしい」
「ああなってほしくない」
「理解してもらえない」
「心配してしまう」
「こんなに愛しているのに」
と、思う親の気持ちに対して、
そうでない態度や行動を見せる子どもは、
悪者という構図になってしまいます。

その逆もあり、子どもの常識、子どもの世界を
抑制したり、理解してくれない大人の存在は、
子どもにとって悪者です。

出会ったころは双方向からの
恋や愛に支配されていたのに、
時間がたつことで
その距離は遠くなって
互いが悪者になってしまう、
そんな夫婦の関係もあります。

家族の中で「悪者」なんて言い方をするのは
ちょっと違和感がありますが、
あらゆる関係性において
悪者は存在します。

ただ、とくに家族の中の悪者は、
悪者として排除することはせず、
多くの場合、悪者として許容することで
その関係性を進めます。

昨晩、オトンとオカンと3人で
夕飯を食べに出かけました。

個室の中で、いろんなお話をしました。
僕は両親が自分のことを
理解してくれないなんて思ったことはありません。

けど、僕の行動は、両親にとって
明らかに理解できない行動でした。

それなのにずっと、
今日まであたたかく
見守ってくれました。

僕の中でもその行動は、
反省している悪いものです。

反省の気持ちを伝えることができたこと、
「最終的によかった」と両親に言ってもらえたことで、
僕の心の中にいた悪者は少し浄化されました。

完全に浄化できるように、
これからも一生懸命がんばります。

今日も来てくれてありがとうございます。悪者がいたら、あたたかく見守ってあげよう、と思いました。

25/01/28