誰かにとって喜ばれることはあっても、
多くの人にとって悪者である。
昔、多くの人に悪者扱いされていても、
今になっては多くの人に喜ばれることもある。
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たとえば、お仕事で、
新しいサービスを始める時、
社内の同意を得ることが難しい案件でも、
なんとか立ち上げて、
のちに会社に貢献して
みんなに喜ばれることがあります。
僕は実はこれまでの仕事で
何度かその経験をしました。
立ち上げ時は共感を得られることはなく、
煙たがられたり、大変なだけだから
やめた方がいいとも言われました。
立ち上げた後も、整えるのが苦手だったので、
整えてくれる人たちから、
「立ち上げるだけなら誰でもできる。
整えることを任せてばかりなら、
もう二度とやるなんて言わないでほしい」
と言われたこともありました。
お仕事の場合、会社にとって、
お客様にとってなど、
会社ごとに目標を決める必要があるので、
悪者を誰にするのかは比較的
わかりやすいとは思いますが、
そうはいっても、
それぞれの立場やタイミングによって
悪者は存在します。
*
もう少し小さい世界、
家族という枠の中で悪者を考えてみます。
「こうなってほしい」
「ああなってほしくない」
「理解してもらえない」
「心配してしまう」
「こんなに愛しているのに」
と、思う親の気持ちに対して、
そうでない態度や行動を見せる子どもは、
悪者という構図になってしまいます。
その逆もあり、子どもの常識、子どもの世界を
抑制したり、理解してくれない大人の存在は、
子どもにとって悪者です。
出会ったころは双方向からの
恋や愛に支配されていたのに、
時間がたつことで
その距離は遠くなって
互いが悪者になってしまう、
そんな夫婦の関係もあります。
家族の中で「悪者」なんて言い方をするのは
ちょっと違和感がありますが、
あらゆる関係性において
悪者は存在します。
ただ、とくに家族の中の悪者は、
悪者として排除することはせず、
多くの場合、悪者として許容することで
その関係性を進めます。
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昨晩、オトンとオカンと3人で
夕飯を食べに出かけました。
個室の中で、いろんなお話をしました。
僕は両親が自分のことを
理解してくれないなんて思ったことはありません。
けど、僕の行動は、両親にとって
明らかに理解できない行動でした。
それなのにずっと、
今日まであたたかく
見守ってくれました。
僕の中でもその行動は、
反省している悪いものです。
反省の気持ちを伝えることができたこと、
「最終的によかった」と両親に言ってもらえたことで、
僕の心の中にいた悪者は少し浄化されました。
完全に浄化できるように、
これからも一生懸命がんばります。
今日も来てくれてありがとうございます。悪者がいたら、あたたかく見守ってあげよう、と思いました。
25/01/28