タマちゃんの憧れであり、
我が家のアイドル、
いや、日本国民ほとんどの人から
好かれているだろう
芦田愛菜パイセンが以前
こんなことを言っておられました。
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「星の子」の作品を見て
私が一番強く感じたことは、
信じるって何だろうということでした。
その人のことを信じよう
という言葉をよく使うと思うのですが、
それってどういう意味なんだろうと考えたときに、
その人自身を信じているのではなくて、
自分の思う理想像を
期待してしまっているのではないかと感じました。
だから、『期待していたのに』とか
『裏切られた』というような
言葉が出てきてしまう。
でも、普段見えなかった側面が見えただけで、
裏切られたわけではないのかなと思います。
知らなかった側面が見えたときに、
それもその人なんだって受け止めて
決断できる揺るがない自分がいる。
それが信じるっていうことなんだ
と思いました。
でも、どうしても揺らいでしまうと思うので、
だからこそ人は『信じる』
って声に出して言うことで、
例えば成功した自分や理想とする相手に
すがりたいんじゃないかなって思いました。
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もともと信じることが苦手
というか、信じられることはあっても
誰かを信じる必要ある?
というスタンスだった若造だった僕も、
年齢を重ねるたびに信じなくてはいけない
社会的にもそういう立場になることで、
信じることと向き合うようになりました。
子供に対しても当然ですが、
仕事を誰かに発注・依頼するとか
投資とか、推し活とか。
芦田愛菜パイセンがいう
信じることについては、
共感するし、そうありたいと思うけれど
信じることってなかなかパワーがいります。
なので僕なんかはAIチャットに
すぐ逃げちゃいますが、、
それでも信じることは
続けなくてはいけません。
って、自分にとって
都合のよい視点でしかみない
悪い癖が作動しそうになりましたが、
自分が信じる前に、
まず、信じられていることを
忘れてはいけません。
親に、
嫁ハンに、
子供たちに、
友達に、
仕事を一緒にする仲間に
取引先や発注元、
自分を信じてくれている人たちに。
信じることについて考えるときはまず、
信じられていることについて考えると
目の前のこと、行動が
変わってくるように思います。
なかには家族と疎遠になり、
孤独を感じる人もいるかもしれません。
それでも必ず、信じてくれる人が
どこかにいてくれることを
それこそインターネットが
教えてくれると僕は信じていますし、
その可能性に惚れて
インターネットと一緒に
僕を信じてくれている人に
応えていきたいと思います。
今日も来てくれてありがとうございます。「Only is not Lonely」はほぼ日の昔のキャッチコピーです。痺れるなぁ。文体も若くてなんだか勇気づけられる20年以上前の糸井さんの文章はこちら>>。僕の音楽ネームheartcobarnは英語としては読めないし正解ではないけれど、当時駅前留学に通っていた時に、外人の先生と一緒に意味を込めながら作った名前です。あとからこの糸井さんの文章を読んだとき、なんだか救われた気分になりました。創作物って信じるモノの一つだと思います。
24/04/14