決断

中間管理職的なことをやっていると
それまで以上に決断することが多くなります。

でもトップダウンの指示すらも鵜呑みにせず、
指示の内容を考えながら
アウトプットすることは
それも決断していることだと思います。

ポジションを問わず、
情報化社会の中では
決断は必須能力なんだと思います。

僕は株とかはやったことないけれど、
投資なんかを例にすると
決断できる人=人のせいにしない
というか、人のせいにできない
人のことだなと思います。

上司の指示でやった失敗があったとすれば、
最終的にアウトプットした自分に非がある、
そう思えない人は決断できない人だと思います。

逆に上司の指示を無視して失敗した場合は
ぐうの音も出ません。

そう考えると、どんどん失敗した方が
決断できる人になれることになるように
思えます。

「わからない」状態は僕は好きですが、
その多くの場合の「わからない」は、
理解力が足りないのか、
探し方が足りないのか、
その二択の状態しかないと思います。

情報化社会の中で
「わからない」なんて状態は
ほぼない。

隙間産業的なものを無数にあるでしょうけれど、
「あれ」と「これ」と「それ」を
混ぜたようなもの、
そういった表現で「わからない」は
解決することが多いです。

教科書にも載っていない
何億人もの人類の歴史から
類似のものを見つけること。
そして決断すること。

ただ、その決断が失敗することも
多々あると思います。

唯一「わからない」状態があるとすれば
未来のことです。

失敗するか成功するかは
だれにもわかりません。

なので、ロマンの時代は終わって
データベースの時代だなんて言われるけれど、
いつだって決断の際は賭博師のような
ロマン的なものが必要に思えます。

ひとりひとりがロマンをもつこと、
自分物語を発信するときに
ひとのせいにしてばかりの
文句ばかりのお話なんて
読みたくありません。

可能性のあるものにアクセスして
自分でどんどん視点を変えて
変容をすることができる。

そういう時代の中で、
組織と個人の在り方は
これまでのカタチを変えなかったとしても
もはやそれはただの形式なだけで、
ストーリーはそれぞれ個人が決めることが
できるのだと思います。

僕の好きなカウンターカルチャーや
アンダーグラウンドとは
そういう世界の中にあるものだと思います。

夏休みは帰省もできず
家の中で過ごすことになりそうですが、
いよいよピー君の部屋にベッドが入り、
僕もギターを買いたいななんて思っています。

久しぶりにレコードを引っ張り出して
音楽時間を楽しみたいなとも思っています。
よく視聴で使っているサイトに
オンラインライブ、みたいな機能が
加わっていたからやってみようかな。

これを期に世界にGO TO してみようかな。
なんて思っています。
その決断に迫られています。

今日も来てくれてありがとうございます。決断は、その決断をしたあとが大切な気がします。「つづく」っていうやつ。

20/07/18