吉祥寺の印刷屋さん

永福町のマンションの一室での、息苦しさを感じた僕は、わずか一年ほどで退職。次に選んだのは吉祥寺にある小さな街の印刷屋さんでした。街の中のレストランや美容室さん、次々と入れ替わるお店が、ショップカードやオープンチラシ、名刺やメニュー表、POPなんかを作りたいとお店にやってきます。印象としては、以前よりもコソコソやっている印象はなく、都心にいけばもっと安くできるものを、多少高くても近所で済ませてしまおうという、わかりやすい構図になっていました。

けれど、このシンプルな構造を揺るがす出来事が、僕が入社したころから始まります。それは、インターネットの普及です。「ネット印刷」が認知されはじめてきて、さらにそれまではデザイナーといえばアップルのMacだったのですが、インターネットの普及とともに、誰もがデザインに触れやすくなるようにと、windowsが台頭しはじめたのです。この大事件によって、価格は値崩れして、業務内容もお手伝いさんみたいになったし、吉祥寺というメリットがなくなってしまいました。だれもが、どこからでも、簡単にアクセスできるデザインへ変わったのでした。

紙媒体だけでなくて、ホームページ作成も同じです。インターネット上には、ご丁寧にホームページの作り方がたくさん載っています。プラットホームはどんどん進化していって、誰もが容易にクオリティの高いデザインをつくることができる。その仕組みをつくることの方が、ある種デザインしているといえるような時代になってきたのでした。今までお金をいただいていた名刺やチラシ、ホームページの作成は自分で作れてしまう。つまり、「タダ」で請け負って、印刷代・紙代に少しマージンをとってなんとか受注する。こうして、多くの印刷会社・デザイン会社はあっという間に姿を消していきました。

もちろん、残った会社もあります。付加価値をつけたり、素人とプロの差を明確にしたり、いろんなユニークな会社が生まれる中で、吉祥寺の印刷屋さんは、再び「吉祥寺」であることに着眼して、「地域密着型の情報サイト」をつくりました。街のお役立ちサイトを立ち上げて、そこに登録していただく。毎月の維持費・更新費をいただく代わりに、名刺やホームページなどをパッケージ化してしまう。これがヒットして、サイトのアクセスは上昇。TV局から問い合わせがくるほどになりました。その後、サイトの情報を書籍化して、コミックとして地域の書店で販売。これもヒットして、吉祥寺だけでなく、三鷹、立川、町田、中野、、とエリアを拡大。「メディア化」が成功した瞬間でした。これは楽しかった。

こうして、デザインはmacの前でにらめっこしていたものから、みんなで話し合うものへ。もともとのデザインという枠を抜け出して、アイデアすらもデザインするという段階に進んでいきました。

今日も来てくれてありがとうございます。今でもmacへの憧れはありますが、一度もプライベートでmacを持ったことはありません。macを持ってる人ってオシャレなイメージするから、僕はオシャレじゃないデザイナーです。

16/09/12