対物の世界

養老孟子先生の記事を久しぶりに
目にしました。

世の中は、「対人の世界」と「対物の世界」に
大きく分かれています。
「ひとりで寂しい」というのは、
「対人の世界」の話のことです。

人からどう見られるか、人とどうつきあうか。
こういう関心だけで世界が成り立っているのは
もったいない。

と、独特の視点でコロナ禍の
子供たちへメッセージを送られていました。

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この記事を読んでめっちゃ共感しました。
音楽活動に精力的だったころに
コミュニティの素晴らしさを知ると同時に
怖さや大変さを知りました。

コミュニティの中心には本来
モノがあるはずなのですが、
人が集まると、中心にあるものが
ぼやけてしまいます。

情熱だとか、合う合わないだとか、
感情的なものがコミュニティの中心に
なってしまうともう、感情のぶつかり合い、
戦争みたいになってしまいます。

数年間コミュニティの中に身を置く中で
人間の持つ感情に疲れを感じた僕は
最終的に対物の世界に救われ、
今も音楽とよい関係を築けています。

そのモノのまわりで、昔からの友達と
音楽話をしたり、はじめましての人と
いきなり会話がはずんだりします。
何より、一人でも楽しめます。
こういうときのインターネットは
本当に相性が良いと感じます。

この対物の世界への興味をより
加速させたのは、今のお仕事で
データを扱うようになったのもあります。

お仕事をしていると、
感情的になりすぎて
まったく商売の本質からずれて
しまっている人たちを多く見ます。

僕もその一人だったから
今はよくわかります。

数値化されたデータから
眼をそらしていては
話が進みませんし、
感情的な粗探しほど
ひどいものはありません。

最近のSNSはそういう一面が強くて
怖いと思うことが多いです。。

僕も子供にオススメするなら
対物の世界のお仕事がいいなと思います。

ただ、もちろん対人の世界の
魅力もあるし、意識せずとも僕たちは
常にその世界に片足を突っ込んでいます。

対人の世界を考える時は
できるだけ小さい世界で考えたい。
そう思って、おはよう学級の単位を
「家族」にしました。

その範囲をこえるときは常に、
中心にモノがあることを
忘れないようにしていきたいなと
改めて思いました。

今日も来てくれてありがとうございます。今日から学校生活が再開します。そういう意味では小学校生活は対人の世界の勉強なのかもしれません。恋とか友情とかもたくさんしてほしいけれど、何か夢中になれる対物の世界が見つかるといいね。

20/06/01