たりないものを埋めるもの

僕はきっと物心ついた頃からずっと、
両親との間に、弟との間に、
おじいちゃん・おばあちゃんとの間に、
友達との間に、好きになった人との間に、
音楽仲間との間に、仕事の業界の中に、
嫁ハンとの間に、子供たちとの間に、
劣等感を感じて生きてきました。

それはどのくらいかというと、
「足りないから聞こえるうた」
という、オカンに初めて褒められた
コピーをつくったほどでした。

けれど、「たりない」と感じながらも、
友人から「欲がない」と言われたのは
とてもショッキングなことでした。

義務教育という呼ばれる
基準値のような線のひかれた
子供の勉強につきあっているときに、
わからない現状をわかるようにする
努力の大切さに気づかされたからです。

足りないものを埋めるものは
努力。

その努力の根源となるのは
何なのか。

おはよう学級をはじめる前から
ずっと考えていたこと。

家を購入する際にも
とても考えさせられた
向き合うべきもの。

圧倒的にたりていない自分が
何としても手に入れなくては
いけないもの。

こんな番組が放送される2017年。
僕は絶対にこの想いを今年中に
何らかの形にしたい。

この想いの正体は何なのか。

問答して、吐き出したいと思います。

今日も来てくれてありがとうございます。今日から新潟のおじいちゃんの通夜と葬儀のため、新潟市に向かいます。大好きだったおじいちゃんとの別れ。おじいちゃんと会う回数はもっとほしかった。

17/01/03