不寛容プレイ

「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」という渡辺一夫さんの評論を知りました。面白い。ネットでちょこっと触れただけですが、インパクトは大きかった。今の僕はどうかというと、思考する態度が結果として寛容に繋がればいいのかと思っているので、寛容であるべきというのが、僕の答えでしょうか。けど、もっと不寛容であるべきだと最近よく思います。衝突すること、表現すること、発信すること。寛容、不寛容、どちらもあっての人間かとも思うけれど、痛快な不寛容が少ないように感じています。痛快な不寛容とは何かと言ったら、今僕の目の前にあるのは漫画かな。漫画でそれを表現できたなら、面白そう。多様化する世の中全体的には、不寛容な社会がどんどんと進んでいるように思いますが、無言の寛容みたいな気持ち悪さも感じています。そこを痛快な表現で歩いていけたら気持ちよいだろうな~。そのために必要なのはどちらかといえば、不寛容プレイを楽しみたい。
今日も来てくれてありがとうございます。不寛容プレイを楽しむには、「責任」が必要なんだとか。責任は「想像力」のないところに生じないんだとか。なんとなくわかる。お盆休みは絶対に本を借りて読もう。

16/08/05