闇バイトやフィッシング詐欺、
フェイク動画やプライバシー侵害の偽広告など、
AIが進化する情報社会の中で、
真偽を見極め騙されないように注意することの
大切さを感じる一方で
騙されることの価値について
考えさせられることもあります。
冒頭にあげたような悪質な情報と違い、
例えば、「好きになる」という気持ちの真偽は
時と場合で真偽が異なってくることがあります。
最初は苦手な先入観から食べれなかったモノも
ホテルのコース料理で出たら食べれたとか。
小さい頃は苦手だった食べ物が
大人になったら好物になったなんてことは
よくあることです。
騙されたと思って食べてみることで
視野が広がり、許容できる心の余裕が生まれ
真偽のラインが崩れるのだと思います。
とくに今の情報時代は
自分にとって最適化された
情報を多く摂取するので
視野がせまくなっていきます。
実際僕は、20代のころにたくさん
「騙されたと思って」と言われ、
けっこういろんなチャレンジを
させてもらう機会がありました。
いい経験だったと思いますし、
今でもその経験が活きて
騙されたと思って偽りの自分を
真の自分に塗り替えたりしています。
それは子供たちに対しても
同じような感情になることがあります。
「騙されたと思ってやってみなよ」
と言葉にしようとしたときに、
ハッと思いつきましたが、
実は勉強っていうのは、
騙されたと思ってやることの
基礎作りなのかもしれません。
学校の勉強が大人になって
何の役に立つんだよ、って
僕なんかは思って辞めちゃった人間ですけど、
騙されたと思って
ちゃんとやっていたら、
もっと世界は広がっていたかもしれません。
お仕事では、
こんな利益も出ない仕事やめましょうよ、
残業はやめましょうよ、
と言われたら、
そうだね、、と応えちゃいそうですが
そこはグッとこらえて
「騙されたと思ってやってみよう」
から生まれること、感じることって
きっとあるはずだと思うけれどなぁ。
昨日は久しぶりに
クライアントから厳しいお言葉をいただいて
反省して落ち込みそうになったけれど、
そのあと、その方とたくさんお話をして
まだまだ改善の余地があることが見えて
なんだか前向きな気持ちになることができました。
目の前のことがすべてじゃないし、
自分のことを信じすぎないこと、
つまり謙虚であることは
「騙される」を「失敗」に変換して
「学ぶ」に繋がるんだろうなと思いました。
「学ぶ」と考えると
失敗したあともワクワクできます。
今日も来てくれてありがとうございます。僕なんかは才能もないのでとにかく打席に立って失敗をたくさんしないとヒットは出ないんだなと、もうすぐ45歳になるタイミングで、サイコロゲームで10マス戻るみたいな感覚になりました。
24/04/12