~やさしさとケチ~

 

毎週日曜日の朝、TV東京系列で
日本昔話しをやっているのですが、
昨日見ているとおもしろい話がありました。

「匂いのお返し」という
けちんぼの野菜売りの男の話。

顔見知りの親しい客からも
サービスという言葉もなくお金をとる。
そんな野菜売りの男はケチと呼ばれるけれど、
野菜の味は確かなことで街の名物になっていたそうな。

そのケチっぷりといったら
昼時になると、自分の売っている野菜の匂いをおかずに
おにぎりを食べているという徹底っぷり。

そんな野菜売りの男がある日、
別の街に迷い込んでしまったときのこと、
鰻のいい匂いに誘われて鰻屋の前で足をとめると、
「ここはうちの敷地だ、あっちにいけ」と
これまた頑固そうな鰻屋の店主が
野菜売りの男を追っ払います。

鰻の匂いが相当気に入ったのか
野菜売りの男はお店の裏で
鰻の匂いをおかずにおにぎりを食べ出しました。

それを知った鰻屋の店主は、
「この秘伝のタレを作るのに何年かかっていると思う!」
「ただで食わせるもんじゃない!」
と匂いの代金を請求してきました。

後日、鰻屋を訊ねてきたお客から
鰻屋のよい評判が出回っていると鰻屋の店主は聞かされます。

野菜売りの男が
野菜を売りながら鰻屋のことを宣伝していたのです。

そのことを知った鰻屋の店主は
いつものようにお店の裏で
鰻の匂いをおかずにおにぎりを食べている野菜売りの男に
「これを食え」
と鰻を差し出したそうです。

しかし、野菜売りの男は食べずに持ち帰りました。
野菜売りの男がケチだったことには理由がありました。

野菜売りの男の家には病気の母親がいたのです。
その鰻を持って帰り母親に食べさせたのでした。

っというお話でした。

細かく評論するつもりはないのですが、
「サービス」って何だろうっていうのと、
「やさしさ」と「ケチ」について考えさせられました。

市川圭の「け」はケチの「け」と言われるほど
僕は一部の人の間ではケチな人間のようです。

なので僕も「やさしさ」と「ケチ」を
潜在的にはどちらも持ち合わせているようなので
ケチを鍛えようって思いました。

やさしさは誰もがもっているものなので、
ケチのリミッターをどこまでつけれるか、
はずせるのかというのが問題なのかなぁと思います。

「やさしさ」と「ケチ」は表裏一体。
このことを考えれば
サービスに依存する日本の消費者っていうのも
少しずつ変わってくるように思えるのは
僕だけでしょうか。

嫁ハンの仕事先で、
一時間配達が遅れただけで料金を払わないなんて
どこまで傲慢で酷い消費者なのでしょう。

「ケチ」であるためには「やさしさ」が必要。

僕が心を開かない反対には
心を開放して今にも抱きしめたい存在があるからなんです。

少し酔っ払い過ぎましたね。

春ですね。

(続きます)

13/03/25