ふつうの人でもなんでもできる

だれもが編集者、人類総クリエイター時代、
なんて言われていますが、逆に言うと、
「ふつうの人でもなんでもできる」
ってことだよなと合点。

この「ふつうの人でもなんでもできる」は
東京コピーライターズクラブが制定する
「コピーの殿堂」に糸井重里さんが
選ばれたときに授賞式で話された
こちらも名コピーです。

糸井さんはコピーライター時代から
ほぼ日の運営しているときも一貫して
「ふつう」「消費者」の目線を
大切にしていると記事で何度も読みました。

僕もそこにすごく共感したし、
20歳のころにアートイベントを実施したり
音楽活動をしたり、今もお店を運営するときの
考え方の根源に「ふつう」の感覚を
意識するようにしています。

決して作り手よがりのものにならず、
天狗にならず、みんなのためとか
大きな事言わず、格好つけず、
身近にいる人に喜んでもらえるには
どうすればいいかを繰り返し
考えることが大切だと思っています。

けど、歳を重ねるとそのことを
見失いそうになることもあります。

だから、見失わないように
呪文のように唱えるために、
貼り紙にして毎日見える位置に貼っておきたい。

ほぼ日のページに糸井さんの言葉が
掲載されていたので、以下一部拝借。

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仕事って、10年続けたら一人前っていいますが、
プロフェッショナルになるということは
日常生活を送ることが不便なくらい
体や心のどこかが変形することなんですね。
小説家だったらペンだこができたり、
人が傷つくかもしれないことについて、
小説家であるがゆえに、
あえて書くことを優先するようになったりだとか。
競輪の選手だと太ももが太くなるし、
テニスの選手なら右手の筋肉が肥大します。
でも、コピーライターには何もないんです。
44年やっていても、たこもできなければ、
右手が太くなっているわけでもない。
やればやるほど、ふつうの人になっていくんです。
どんどんよけいな筋肉がなくなって、
インナーマッスルだけで体を支えているような
感じといえばいいのかな。
ふつうの人以上に、ふつうのことを考えられる。
そういうところで、ぼくらはごはんを
食べていけているのではないかなと思います。

————

今年10年目を迎える
おはよう学級にも沁みる言葉です。

この言葉を大切に、
歳を重ねていきたいと思います。

今日も来てくれてありがとうございます。やればやるほど、僕は普通の人になれているかな。まだまだ足りないな。

21/07/07