書き続けること

ことばを書くことのプロ
糸井オトンがこんなこと言うの
初めてなんじゃないかな。

毎日綴られているほぼ日の
トップのコラムで
こんなことが書かれていました。

——

この文をだれに向けて書いているのか。
正直に言えば、
それはぼくにもわかっていないのです。

(中略)

ものを書いてだれかに届けるということが、
とてもむつかしくなっています。
でも、とにかく、なんとか書き続けてみます。

——

「いい気なもんだな、こういう時代に」と
コロナで読み手の人の環境が多様化して
ことばをネガティブに受け止める
人が増えたことが、この文章を
書かせたのかもしれません。

でも、文章を書く人たちは
そんなことを当然知っていて
それでも書いている人たち、
だから、プロだと思っていたから、
糸井オトンのこの文章に
びっくりしてしまいました。

何か意味があるはずと
深読みしようとしても、
わかりませんでした。

僕も、もうすぐ
書き続けて10年になります。

仰るとおり、
「だれに向けて書いているのか」
ご指摘をうけることもあったし、
自分でツッコむことは多いです。

ほやほやの状態の想いやアイデア、
つたない文章の散文ですが、
書き続けることで、
それがアーカイブになり、
思想・文化のようになる。

そういう意味で、
僕の中では、
僕のために書いてきた部分が
大きいのかもしれません。

けれど、毎日ここで書くときに
意識するのは、いつも読んでくれている
人のことや、新しく読んでくれる人のことを
意識して書くようにしています。

そうしないともっと
ひどいものになってしまうから。。

日々まわりの誰かを意識しながら
つづるものが、アーカイブになって
ふり返ると自分のためであった、
ということになると思います。

書くこと、
書き続けることについて
再度意識させてくれた
今回の糸井オトンのことば。

これを金言として10年目の
書くことを続けていこうと思います。

今日は、少し、糸井オトンに
読んでもらうことを意識して
書きました。

今日も来てくれてありがとうございます。昨日は久しぶりに家族で夕ご飯を食べて、うれしくて会話をしていると、ピー君が「おれに喋ってる?」とギャグみたいに何度もツッコまれました。「誰に」がない状態っていうのも、面白いものだよな、とは思います。なぜなら、僕は、居酒屋でかかる音楽が好きだからです。仕事をしながら聞くラジオもね。もっと空気みたいな言葉を書けるようになりたい。

20/07/11