脱・背中を見せる

そういえば、ここ数年で
仕事を通して感じていることが、
「背中を見せる美学」の崩壊
という疑惑です。

背中を見せる美学とは、
言葉足らずの職人さんが
めちゃくちゃかっこいいものを作って
それに憧れて弟子がついて
言葉足らずな環境下で
完成を研ぎ澄ませて
職人さんに近づくという美学です。

この美学を崩壊させた要因が
情報だと思っています。

情報が成熟していない時代を過ごした
僕みたいな世代の人間はけっこう
この美学に身に覚えがあるのでは
ないでしょうか。

逆にこの美学を「なんのこっちゃい」
と思ってる人は情報成熟時代を生きる
ヤングピーポー、もしくは
合理的な人なのでしょう。

僕はデザインや音楽を
「背中を見せる美学」のもと
試行錯誤して背中を追いかけました。

ところが、今の時代は
情報がすごい力を持っているので、
背中を分析してhow toなどの
マニュアル、テンプレートまで
用意されている時代です。

職人さんの後継者不足が
いろんなところで言われていますが、
非合理的で稀なものよりも、
合理的でシェアできるものの方が
価値が高い時代になってしまったんですね。

こういうある種システマチックな
社会の中で完全に歯車として生きていると、
イレギュラーに対応しづらくなります。

例えば、
テンプレートに当てはめられない
相談を受けたら断る、
なんてことも出てきます。

もっというと、
そのテンプレートの種類を増やそうと
開発したり、もがいたりする仲間が
背中をむき出しにしているのに
それが目に入らない、なんていう
状況も発生してしまいます。

合理的なあたまでかちになって
非合理的なことへのチャレンジが
なくなるだけでなくて、
思いやりまで薄れていくのかも、
と、ちょっと怖くなりました。

仕事においてだけで感じることなら
嫌になったら逃げだせばいいのだけど、
昨日大掃除をしているときに
目の前で父ちゃんが半ケツだして
床磨きしている中で
ソファに座って、父ちゃんの背中をスルーして
手伝ってという声掛けも届かず、
ゲームを続けている子どもの心境が
どうしても理解できませんでした。

言葉足らずに勝手に「キレ」モードに入った
自分を情けなく思い、
合理的な導き方というものを
見つけていかないといけないな、
とすごく反省しました。

だって、仲間の絆をテーマにする
鬼滅の刃が大ヒットしているのだから、
きっとアプローチ方法が違うのだ。

感情にアプローチするためには、
言葉足らずに背中を見せるのではなく、
漫画や音楽などのコンテンツなのではないか。

アプローチの仕方を変えなくては、と
痛いほど感じた2021年のスタートでした。

今年こそ、まじで作品つくるぞ!

今日も来てくれてありがとうございます。お手伝いしたらお金をあげるっていうのは、一番合理的な手法なんでしょうけれどね、お仕事においても。けどなんだか悔しくて。お金のためじゃなく、好きなものが違う多様なみんなで仕事をするうえで、みんなを導けるものがあるとしたら、きっと漫画や音楽やコンテンツだと本気で思ってます。

21/01/02