同級会

スポーツ万能、勉強もできて、学級委員長も務めてクラスの人気者だったA君は、大学卒業後大企業に入社、美人な奥さんと結婚して都内に家を建て二人のお子さんと一緒に暮らしている。お手本のようなサクセスストーリーだ。僕も好きだったクラスのマドンナKさんは、有名なベンチャー会社の秘書に大抜擢され、先日インターネットに有名な社長と一緒に写真が載っていた。まだ結婚していないらしい。忙しいみたいで今日は同級会に来ていない。しかし、今日の主人公はS君だ。クラスのいじめられっ子だった彼はそれをバネにして、なんとお笑い芸人として活躍している。年末にはテレビにも出ていた。当時いじめる側・からかう側にいたD君とE君がS君と連絡先を交換しているから面白い。みんなの中心にS君がいる様子を見ていると、いじめられっ子と人気者は紙一重なのかなと思わされる。

僕はその輪に加わることなく、少し離れた席で幼馴染のY君とRさんと喋っていた。幼馴染のY君は実家を改造して美容室を開業した。Y君とは、中学・高校とあまり遊ばなくなったから、開業してすぐに髪の毛を切りに行ったときは少し照れくさい気持ちになった。昔から会話が上手だなと思っていたから天職だと思う。同じく幼馴染のRさんは、スポーツインストラクターをして東京で活躍している。小さいころから運動神経が抜群だった彼女。明るい性格もあって彼女のファンもいるらしい。近いうちに独立する予定らしい。実は、彼女も中学・高校とあまり遊ばなくなったから、今日久しぶりに話す。こんなことを言うと、僕は中学・高校と友達がいなかったみたいな印象になるけれど、確かに僕は学校に友達がいなかったのかもしれない。そんなに友達を必要としていなかったのかもしれない。友達を欲する以上に僕が欲したのはアートだった。

アートは鑑賞から始まる。母が趣味で絵画教室をしていたから、我が家にはゴッホやピカソ、セザンヌやムンクなどの作品集がたくさんあったのでアートに触れることは容易だった。当時はインターネットもなかったので、作品集についていた解説を頼りにいろんな創造を頭の中でした。どんな歴史的背景だったのか、どんな心境で、どうしてこの構図・配色で描いたのかなど、中学生になった僕はひたすら想像した。そして自分もキャンバスに向かった。自画像を描いたり花を描いたり、しだいに、そこにはない創造のものを描くようになった。そのときの親や友達の視線は気にならなかったくらい、僕はアートに熱狂していた。学校が終わると部活などもせずにすぐに家に帰って絵を描いていた。きっとまわりから見たら変わったやつだったんだろうなと思う。けれど、僕は残念なことにその道を進むことなく、中途半端な人生を歩んでしまっている。よく評論家のような視点で物事を見る自分に嫌気がさすことがある。

けれど、そんな僕に久しぶりに友達ができた。出会いはインターネット上だ。しかも日本人じゃない。たまたま見ていたアートの解説のSNSコミュニティに「いいね!」を押したら、コメントがきた。片言の日本語と容赦ない英語で自己紹介と質問が送られてきた。翻訳機能などを駆使して読み解くと、どうやら彼は僕と似たような、『にわか仕立てのアート評論家』らしい。彼とのコミュニケーションをもっとうまくとれるように英語を勉強しているところ、と、幼馴染の二人に話すと、スポーツインストラクターのRさんが、アートが好きな知り合いの外人を紹介してくれることになった。彼女が勤めるジムは六本木にあるので、外人のお客さんも多くいるらしい。僕は家に戻るとすぐに、もらった連絡先にメールを送信した。

(おしまい)

今日も来てくれてありがとうございます。平成は「公」→「個」になってしまった時代だと猪瀬直樹さんが仰っていました。「公」の中にいると自然と個が出てくるんだなと思いながら、年初めのお仕事をしています。初日の出見れました。東京は快晴です。今年もよろしくお願いいたします。

19/01/01