「わからない」なんてことは
ないんじゃないか、というくらい
世の中には情報がたくさんあります。
コミュニケーションひとつみても
相手のことが理解できないと思ったときに
自分がどう思えるか。
わからないのは自分のせいと
自分を低くできる人なのか、
どうして理解できないのかに感心をもつ
好奇心のある人なのか。
まわりにいる成長している人や
憧れの人を見ていると、
いずれかに当てはまる人が多い印象があります。
立場が上で尊敬できる人は
自分を低くできる人が多い気がします。
立場が低いのに自分を低くできない人も
いるから困ったと思うこともあります。
そんな悩みを別の軸で解決するのが
好奇心をもつことです。
わからないを楽しもうとすることって
ツールやルール、ちょっとした視点で
もつことができたりするので、
今の世の中にあってるかな
という気もします。
自分を低くみる ってなかなか昭和的な
精神論的なイメージがありますから。
今日で今年の半分が終わるわけですが、
一緒にお仕事をしてくれている子が
気付けばいずれも持ち合わせているなと。
半年前はどうしたものかと
悩むこともあったけど、
ちょっと振り返ると泣けてくるくらい
成長したなんていうとおこがましいけど
助かっています。
そういう意味でいうと、
わからないを解決するもう一つの手段として
「時間」もあるのかもしれません。
いつまでたっても変わらない人もいる中、
変わってくれてありがとう。
そして変わるって楽しいと思ってくれて
ありがとう。
世の中に「わかる」が増えたとき、
なんだか「いきがい」みたいなものを
感じるなと思いました。
今日も来てくれてありがとうございます。さあ、今日は今年最後の伊勢丹撤収。なんか海の家みたいな感じで、一年の半分を集中的に頑張るお仕事が今日で終わり。一年の半分の日。今夜は乾杯じゃ。
22/06/30