足りないものを埋めるものは「志」、
その志はお尻が見えたときに持つことができる、
例えばそれは死を知るとき。
前回は、そこまで行きつきました。
「少年よ大志を抱け」
予告ホームランに憧れた僕は
ビッグマウスなやつだと思われるほど
志を持つのは得意な方です。
大切なことは、
それを実践することだと思います。
そして志と自分の間を埋めるもの、
それは「回数」だと思います。
これは野球で培った精神論でもあり
実体験でもあります。
素振りするんです。
ストレートがきたとき、
カーブがきたとき、
チェンジアップがきたとき、
それぞれに対応できるよう
何度もイメージしながら
バットを振るんです。
叶わないような恋も
いろんな形でアプローチを試しながら
続けることで、せめて気持ちは伝わるんです。
素人がプロと仲良くなることだって
ファンであり続けることができればきっと。
苦手な人とも、何度も心を通わせればきっと。
ほぼ日でのステキな対談が
大きなヒントに思えます。
たりている人はきっと
「回数」に出会うことなく
たどり着けちゃうんだろうから
足りないから聞こえる歌には
何回も同じフレーズが
リフレインされるんだろうな。
今日も来てくれてありがとうございます。というわけで、作詞しよう。志をもったので、あとは回数を重ねよう。
17/01/11