そして大震災

なんとなく職場でも感じることができた世の中の変化。緩やかな逆流にのった、提供する側と受け取る側のサービスの流れ。CDが売れないとなげく音楽の世界に片足を突っ込んでいた僕には、その状況はなんとなく理解できるものでした。インターネットが普及する中で力を失ったTVや雑誌、”大きなもの”。パソコンよりも小さいスマートフォンを手にした僕たちは、だれもが簡単に想いや事実を伝えることができるようになった情報化社会へ。なんとなくみんなが感づいてきたころに起きてしまったのが、東日本大震災でした。

何が真実なのか。何を信じればいいのか。マスメディアの崩壊。情報を共有する時代の入り口としてSNSの台頭。無数の情報を自分のフィルターを通して編集する「まとめ記事」の誕生。確かなものを自分の手で作り出す「DIY」ブームの登場。リリースすることよりもアップデートが評価される「説明責任」や「神対応」。情報の鮮度よりも問われる「オリジナル」の創出。以前からもやもやとしていたこれらは、震災後のカウンターカルチャーとして僕たちのライフスタイルを大きく変えました。

「スローライフ」や「対峙」、「ていねい」などの言葉も、それまで以上によく耳にするようになりました。多くの人が立ち止まり、働き方や生き方を考えたと思います。僕もその一人でした。このとき、慌てずに、向き合い、毎日言葉を大切にアウトプットしていた、そんな会社・人に出会います。「ほぼ日」を運営する糸井重里さんでした。これもまた、僕だけじゃなく、多くの人がほぼ日に注目していくことを後から知りました。糸井さんは、この震災前後の一連の変化を、もっと昔からしっかりとした言葉で綴られていました。(「インターネット的」という糸井さんの本でそれらに触れることができます。)

僕も、今日という日を、一瞬一瞬を切り取って、想いを綴り、それを毎日続けてみたい。震災以降注目されるようになった「経験則」を身につけるためにも、「思考のアーカイブ」を実践してみたい。そう思った僕は、2011年の8月8日から今日に至るまで毎日、ブログのような日記のようなものを続けています。家族のこと、仕事のこと、趣味のこと、自分の想うこと。それらに向き合うことで、今まで気づけなかった「視点」を持つことができるようになりました。震災後も多様化が進む社会の中で、この「視点」を持つことがどれほど大切か、僕はこのあと直面する多くの場面でそれを知ることになりました。

今日も来てくれてありがとうございます。昨日は人生初の青物横丁へ。20年も前にインターネット的な社会をつくりはじめた先輩方のお話しに触れることができました。家を買うことも、仕事するときも、「決断」の大切さを教えていただきました。やるときはやるぞ!

16/10/01