最近じゃ、盛んに「付加価値」だの言われるようになりましたが、昨日のアート番組を見て、ハッとさせられました。僕たちが使う日用品の裏側にあるストーリーや、手作りであることの稀少性・無駄のない美・匿名性をうたう「民藝」が大切だと思う一方で、そうではない「アート」、爆発する「芸術」への希望を忘れてはいけない、と。そして、それはいずれも、誰もが持っているはずの感覚であるということを、今一度考えるきっかけになりました。「普通」か「普通じゃない」かで、共感・シェアされるものの多くは「普通」です。個性的である必要はなく、情報として扱われます。だから、「普通」は育むようなもの、「愛」みたいなものだと思っています。一方で、「普通じゃない」感覚は、突然対象物と自分との間にやってきます。だから、芸術は「恋」のようなもんだと思っています。匿名性が特徴であったはずの民藝が、キュレーターなどという個性を通して発信されるからややこしくなるけれど、もっと感覚的に人やモノを好きになったりするべきだと思うんです。一目ぼれする感覚を忘れたくない。それが無駄だとか言われることだとしたら、なおさら。
今日も来てくれてありがとうございます。恋することこそが、クリエイティブの源DEATHね!勝手に恋プレイ!それは、そりゃアートだわ。→そら、アート。→空アート。昔、そういう名前のイベントをやりました。
16/02/28
